調査の概要


 調査団代表・坂田 聡

山国荘は、丹波山地の山あいを貫流する大堰川(桂川)上流の流域に開かれた広大な荘園で、戦国時代には数少ない禁裏領荘園の一つであった。同地の旧家には、中世文書を含む大量の古文書が残存しており、それらを用いた中世荘園史・村落史研究や、明治維新期における山国隊研究など、かなりの研究蓄積があるが、これまで行政が史料保存の手立てを講じることがなかったため、文書の破損や散逸が進行し、緊急に史料調査・整理・保存の作業を行わねば、とり返しのつかない状況に立ち至っている。
    こうした状況を鑑みて、1995年に坂田が中心となり、山国荘調査団を組織した。そして、今日に至るまで調査団は、同地の史料調査と整理・保存の作業に取り組んできた。
    山国荘地域に残された史料の特色としてあげられることは、何といっても現地の旧家に中世文書が伝存するという事実である。いうまでもなく、それなりの分量の中世文書が個々の百姓の家に、家文書として今日に至るまで代々伝えられることは、きわめて稀な事態であるが、さらに、同地の旧家には中世文書のみならず、膨大な近世文書、近現代文書も連続して残存している。その意味で山国荘地域は、中世から近現代にかけての地域社会の構造やその歴史的変遷を、通時代的に考察することが可能なほとんど唯一のフィールドだといっても過言ではない。
なお、野田只夫編『丹波国山国荘史料』、同編『丹波国黒田村史料』において活字化された文書は、同地に残存する古文書のごく一部にすぎず、近世・近現代文書を中心に、膨大な未調査文書が残存していることも、山国荘調査団を組織するひとつの契機となった。
では、本調査団による史料調査の歴史は、どのようにまとめられるであろうか。以下に示すことにしよう。

① 調査の前段階(1991年度~1994年度)
下黒田の故井本昭之助氏(現正成氏)宅、黒田宮の故菅河誠一氏(現宏氏)宅、同じく黒田宮の故西静三氏(現新治氏)宅を坂田が個人的に訪問し、古文書を閲覧する。いまだに活字化されていない大量の未調査文書の存在と、文書の保管状況の劣悪さ、文書散逸の危険性などを確認し、調査団を組織しての継続的な文書調査・整理作業の必要性を痛感する。

② 第一期の調査(1995年度~2002年度)
1995年の夏、山国荘調査団による本格的な史料調査が開始される。具体的な作業としては、同荘黒田地区の家々や神社に残された古文書を、中世文書と近世前期の文書を中心に可能な範囲で調査・整理し、その一部をマイクロカメラで撮影した。
なお、1995年度から1998年度にかけては、山国荘調査団を組織したものの、まったくの自費調査であったが、1999年度には「京都近郊山間村落の総合的研究」というテーマで科研費(基盤研究(B)(1))を獲得し、古文書調査のみならず、景観調査、民俗調査も含む総合調査に衣替えをする。
黒田地区の古文書は山田洋一氏の尽力により、山国荘調査団がマイクロカメラにて撮影した写真を京都府立総合資料館がデュープし、20059月に同館において公開された。また、古文書調査、村落景観調査、民俗調査の成果は、科研費報告書にとりまとめた。

③ 第二期の調査(2003年度~2011年度)
同荘山国地区(本郷)の古文書を、各家とも近代文書に至るまで
全点、調査・整理し、そのすべてをデジタルカメラで写真撮影した。2003年度と2004年度は、科研費がとれなかったため、自費で調査を継続せざるをえなかったが、2005年度には「中世後期~近世における宮座と同族に関する研究」(基盤研究(C)、3年間)というテーマで、続いて2008年度には「室町期~明治維新期丹波国山国地域における民衆と天皇の関係に関する研究」(基盤研究(B)、4年間)というテーマで科研費を獲得することができた。
第二期の調査では、村落景観調査は行わなかったものの、引き続き民俗調査は実施し、古文書調査・民俗調査の成果を、科研費の報告書にとりまとめた。また、近世に山国荘地域からの独立を目指した広河原地区(「奥山」)の古文書調査(同地の庄屋であった廣瀬家文書)と民俗調査も、あわせて実施した。
そして、200912月には、これまでの調査・研究の成果をとりまとめ、坂田聡編『禁裏領山国荘』を刊行した(山国荘調査団のメンバー21名が執筆)。さらに、2013年の冬に科研費の研究成果報告として、坂田と吉岡拓の共著『民衆と天皇』を刊行する予定である。

④ 第三期の調査(2012年度以降)
『民衆と天皇』に結実した科研費が切れた2012年、三期連続して科研費(基盤研究(B))を獲得した。新たな研究テーマは「16~19世紀大堰川上・中流域地域社会の構造と変容に関する研究」というもので、山国荘地域のみならず、広河原(京都市左京区)から山国荘地域にあたる黒田・山国(京都市左京区)を経て、周山(京都市右京区)、日吉・八木・園部(以上南丹市)、そして亀岡市域に至る大堰川上・中流域を広域的な地域社会として把握し、その構造的な特質と歴史的な変遷を、中世から近代にかけての長いスパンでとらえることを目指している。
具体的には、古文書調査・民俗調査、そして景観調査の範囲を南丹市域、亀岡市域にまで広げ、鮎漁や筏流しをめぐる協力と対立、山野用益のあり方の共通点と差異、宮座や株内、伊勢講のあり方の共通点と差異、弓箭組と山国隊の関係など、広域的な地域社会の共通面を踏まえた上で、禁裏領としての「由緒」を誇る山国荘地域の特殊性を改めてクローズアップすることを研究目的とする。
現段階においては山国荘地域の史料調査と、それ以外の地域の史料調査各々のウエイトのかけ方を模索しているところであり、とりあえず2012年度には、南丹市域の古文書調査に着手し始めた。

 最後に、本調査の意義としては以下の三点があげられる。
Ⓐ 研究者の側の都合による恣意的、「つまみ食い」的な調査姿勢を排し、中世山国荘の故地という、特定の地域にしっかりと腰を据え、地元住民の方々との信頼関係を築き上げることによって、20年近くも調査を続けている点。
Ⓑ 山国荘地域においては、中世後期から現代に至るまでの史料が連続して残存しているが、その利点を生かして、同一のフィールドで通時代的な地域社会像を描く試みを行なっている点。

Ⓒ 一般の荘園調査とは異なり、中世史研究者のみならず、近世史研究者、近代史研究者、さらには民俗学や社会学の研究者にも参加してもらい、調査・研究を進めている点。